モータースポーツジャーナリスト赤井邦彦氏のコラム「
電撃! フォーミュラE」から
EVレース、わずか3年で大きな流れに 待たれる日本参戦
世界中の自動車メーカーをとりこにし始めたフォーミュラEレース。
3年前に新カテゴリーとして始まったこのレースが、これほど早く大きな流れになるとは想像すら出来なかった。
確かに自動車はエネルギー転換を迫られており、動力源ソースはガソリンから電気へと移りつつある。
その機運を先取りしたのがFEH(フォーミュラEホールディングス)を創設したスペインのビジネスマン、アレッハンドロ・アガグであり、彼がスタートさせたイベントが全電動レースカーによって争われるフォーミュラEレースだ。
そのフォーミュラEレース。
鳴り物入りでスタートしたのが2014年。
ところが当時はモータースポーツ界から白い目で見られた。
イベント屋がまた金もうけを仕掛けた、という見方が多かった。
ところが当のアガグの目的は金もうけだけにあらず。
環境問題への取り組みの一環として、大衆に自動車のエネルギー問題に興味を持ってもらうようにとレースを企画した。
ガソリンではない電気で走る自動車によるレース。
市街地で開催することにより電気はCO2とは無関係なことを訴える。
この考えはガソリンから電気へと動力源を移したい自動車メーカーにとって最適のPRの場となるのではないか?
アガグはそう考え、自動車メーカーの支援は得られるはずと読んでこのレースをスタートさせた。
ところが初年度は思ったようにはことは運ばなかった。
世界に数ある自動車メーカーも、レースとなると二の足を踏んだ。
そこには自動車メーカーの様々な思惑があったはずだ。
単純にレースの知識がないメーカーもあっただろうし、市街地でのレース中の事故を懸念したメーカーもあっただろう。
もちろん、まだ形さえ定かでないイベントへの投資の危険を感じたメーカーや、PR効果に疑問を持ったメーカーもあっただろう。
そんな状況下で産声を上げたフォーミュラEには、欧州の自動車メーカー、ルノーとBMW、アウディが細々と名前を連ねていただけ。
チームとして参加していたのはルノーだけだった。
こうした自動車メーカーはモータースポーツの力を知っていたばかりか、パイオニア精神にあふれた企業だったということもある。
それがどうだろう、フォーミュラEはたちまち多くの人々の興味を引くことになり、モータースポーツを国際的に統括するFIA(国際自動車連盟)のお墨付きまで手にし、躊躇(ちゅうちょ)する自動車メーカーを尻目にたちまちポジションを確立していった。
初年度から参入していた自動車メーカーは、第2シーズンになると堂々と前面に名前を押し出し、環境問題をリードする企業として世界中に認知されるようになったのだ。
初年度参入に二の足を踏んだ日本の自動車メーカーの面目丸つぶれである。
さらに自動車メーカー以外にもパーツメーカーが参戦し、ベンチャー企業が次々と名乗りを上げた。
ところで、フォーミュラEが短期間に確たるポジションを手にしたところを見ると、電気自動車(EV)という言葉には魔力があるとしか思えない。
ガソリンがいまだエネルギーの中心である自動車だが、化石燃料の枯渇、二酸化炭素による環境破壊といった事象に追い詰められているのか、次第に電気エネルギーへとかじを切り始めた感がある。
その移行の象徴的な姿としてフォーミュラEレースが捉えられているとしたら、このレースを主宰するFEH(フォーミュラEホールディングス)はしてやったり。
そして、FEHの思惑通りに多くの自動車メーカーがフォーミュラEレースを自社のEV戦略の広告塔として使い始めたのだ。
現在進行中の第3シーズンには、ルノー、アウディのより強力なコミットメントがあり、マヒンドラ、ベンチュリといった新興国の新興自動車メーカーも名前もある。
加えて名門ジャガーの参戦などでフォーミュラEはますますにぎやかになってきた。
ところが先に書いたように、
現在日本の自動車メーカーは参戦しておらず、参加するチームやドライバーもいない。
かつてF1チームを主宰した鈴木亜久里のチームがあったが、2シーズン目の途中で手を引いている。ゆえに
フォーミュラEにおける日本の存在感はゼロに近いといわざるを得ない。 FEHとしては自動車メーカーを含めた日本の企業に秋波を送るが、新しいものに挑戦することに慎重な日本企業はまだ出て行く気配はない。
そんな中、逆流のような現象が起こった。
ドイツの自動車パーツメーカーのシェフラー(主としてベアリングを製造販売)がスポンサーをするアプトチーム(ドイツ)が1台のクルマを日本に持ち込んで、東京丸の内仲通りの銀杏並木でデモ走行を行ったのだ。
理由はシェフラーの日本におけるPR作戦である。
シェフラーは同じドイツのボッシュやコンチネンタルといったパーツメーカーに比べて日本では知名度がいまいち。
そこで日本における存在感を増す目的のひとつとして、シェフラーの名前がボディーに大きく描かれたフォーミュラEカーを持参して、市街地を走らせるという賭けに出たのだ。
これは、フォーミュラEに興味を持たない日本の自動車メーカーへの訴えでもあり、この活動を通して日本の自動車メーカーへの自社製品の売り込みにもつなげる目論見(もくろみ)があったといえる。
さて、シェフラーの思いは伝わったのか?
デモ走行には日本の自動車メーカー関係者の姿もあった。
個人の立場としてフォーミュラEに興味を抱く自動車メーカーの社員は多い。
しかし、個人の力が会社を動かすにはもう少し時間がかかるかも知れない。
だが、その日沿道を埋めた観客の数を見れば、自動車メーカーも考えを変えなければいけない時期にきているはずだ。
約250mの特設コースの両脇は、デモ走行開始数時間前からびっしりと観客で埋まっていた。
デモ走行を走ったのはアプト・シェフラーFE02という、フォーミュラEレースで実際に走っている最新のモデル。
ボディーの前半分がアウディの赤に塗られてはいるが、後ろ半分がシェフラーの緑色で塗られ、強烈な存在感を示していた。
運転したのはブラジル出身のプロドライバー、ルーカス・ディ・グラッシだ。
ディ・グラッシはシーズン2でルノーに乗るセバスチャン・ブエミと最後までチャンピオン・タイトルを争って、惜しくも敗れた実力派ドライバー。
WECでも今年限りで撤退を発表したアウディチームの主要ドライバーだった。
ディ・グラッシは走行後、次のように感想を語った。
「フォーミュラEは“電動の未来”に向かって走っている。モータースポーツとしてもエキサイティングだ。モータースポーツは自動車産業と密接な関係にある。自動車産業はモータースポーツを通して将来技術に投資している。日本は自動車産業が盛んだ。ぜひ日本のメーカーも参戦して欲しいし、日本でもフォーミュラEを開催して欲しい。特に東京のような先進的な都市にはフォーミュラEがピッタリ。一日も早い東京開催が望まれる」
フォーミュラEに関しては腰の重い日本の自動車メーカーだが、世界の流れにあらがうことはできない。
先日もトヨタ自動車がEV事業企画室を作り、本格的にEVの研究開発に乗り出した。
その実験室としてフォーミュラEはうってつけのように思われる。
2018年から始まるフォーミュラEシーズン5からは、メルセデスベンツも参戦を発表している。
時代の潮流に乗り遅れないように、日本の自動車メーカーも急いだ方がいいだろう。
PR